2012/11/17(土)
-更新についてのお知らせ-


秋も深まり、朝の冷え込みも一段と強くなる中で、
いよいよ冬の到来が近づく季節となりました。
季節の変わり目でもありますので、皆様ご自愛下さいませ。
---当サイトの管理・更新等についてご連絡申し上げます。

記事等の更新及び執筆作業につきましては、
以前より一ヶ月に一記事の更新を目標に目指して参りましたが、
管理人の多忙により、ここ数カ月更新が滞っている状態にあります。
つきましては大変申し訳御座いませんが、未だ多忙状態が続くため、
12月に入って以降、順次更新を再開して参りたいと思います。
更新が滞っている中で、毎日多くの方にご訪問頂き、
管理人である私としても大変有難く嬉しい思いでありますが、
それと同時に皆様にご迷惑をお掛け致している事をお詫び申し上げます。

何卒ご理解・ご協力のほどをお願い致します。
2012/09/26(水)
-大久保利通生誕182周年-
夏も終わり、秋分を迎えましたが、未だ残暑続きとなっています。
台風の多い時期ですが、どうぞご自愛下さいませ。


音に聞く
       高師の浜のはま松も
                   世のあだ波は
                            のがれざりけり


鹿児島県の鍛冶屋町に生まれ、後の西郷隆盛である、
西郷吉之助...そして長州藩の頭であった木戸孝充らと共に
明治維新を為した大久保利通。

僅か49年という短い生涯の間に、大久保は現代日本の礎となる、
殖産興業から廃藩置県、また官僚制等様々なものを日本に取り入れました。
そして、迎える西南戦争。同郷であり兄弟以上の間柄であった、
西郷隆盛との別れにより、故郷薩摩・政府は揺れ始めます。
しかし、それを顧みず、大久保は日本の為に最後まで尽くしました。

そんな大久保利通の生涯、また彼に関わった周囲の人物について
詳しくご紹介していきます。


---Update History---
-3/27 「父逝し後---」(創作)を更新致しました。
-5/14 「134年目の命日を迎えて」を更新致しました。
-8/28 「各人物における”大久保像(観)”・大隈重信」を更新致しました。
2012/09/24(月)
本日9/24は、西郷隆盛自刃(=事実上の西南戦争終結)の日となります。
実に135年前の出来事ではありますが、西郷の死と共に、
日本には”武士が消えた”と言われることが多々あります。
大久保も”武士が消えた”との表現はしなかったものの、
「おはんの死と共に新しか日本が、強か日本が生まれる。」
という言葉が名言として遺されています。
また西郷軍の一員であった桐野利秋(中村半次郎)や村田新八、
大将・西郷隆盛の介錯を担った別府晋介らも、その後自害しています。

鹿児島県では本日の西郷隆盛の死に偲んで、
彼と西郷軍の主要人物が眠っている「南洲神社」において
西郷の子孫の方を始め、多くの市民が参列しています。
(→http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120924/k10015238401000.html
当サイトでも改めて哀悼の意を表します。

また今日から二日後の9/26は大久保利通の太陽暦(明治~導入)
において誕生日とされている日となります。
たった二日の違いではありますが、何とも複雑な思いに駆られます。
2012/05/14(月)
1878年5月14日・政府初代内務卿 大久保利通死去

赤坂御所へ登庁予定であった大久保を襲ったのは、
石川県士族・島田一郎ら、六人の刺客でした。

2012年を迎え、今年で大久保暗殺134年目を迎える今、
彼が政治家、そして新たな観点の先駆者として伝えたかった事は
一体何であったのか...。そんな内容に迫って参りたいと思います。
大久保利通暗殺 134年目に向けての新たな日本

(ここに心から哀悼の意を表し、安らかにご永眠されますようお祈り致します。)

2012/03/11(日)
-3.11から一年、東日本大震災で被災された方にお見舞いとお悔やみを申し上げます-

亡くなられた方に心よりご冥福お祈り致します。
本日14:46より、地震発生から一年が経過致しました。
仮設住宅等の建設は進んでいるものの、
依然として原子力発電所の放射能は漏れ続け、
完全なる『復興』とはなかなか言えない状態にあります。
勿論、一年間では事態の収拾、瓦礫の撤去などを全て行う事は不可能です。
しかしながら震災後数カ月で道路舗装・土地の開拓等、
日本人としての誇りを感じさせるような力強い復興が進められています。
...地震直後の死者は、0人と言われています。
確かな情報か定かではありませんが、今回は地震により引き起こされた津波。
この津波により東北に住む多くの方が亡くなられました。
東北一帯では数百年前から巨大地震の多発する地域であり、
それによって発生する津波も、当時を生きた方には知られていました。
江戸時代には津波を防ぐような工夫や仕組み...が為されていたと言われています。
(津波・地震の影響を然程大きく受けない街づくりなど)
(今回の津波は想像以上のものであり、未然に防ぐのは非常に難しいですが)
地震の予知は難しいですが、対策は必ず出来るはずです。
この大震災を通し、私達は今までの生活を今一度見直す必要があるように感じます。
昔戻りすべき、とは言いませんが、少しでも負担の少ない生活を送りたいと思います。

個人個人での力はとても小さなものではありますが、
少しずつでも、必ず日本を復興させより良い国へと導いてゆくのが
今を生きる私達の使命であるし、義務だと感じています。
最後になりますが、改めて被災された方々へお見舞いを申し上げ、
復興へのお祈りをさせて頂きます。

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