プロフィール

本名
大久保利通
性別
男性
血液型
O型
生年月日
9/26
現住所
日本 東京都 港区
出身地
日本 鹿児島県 
自己紹介
●身長:175~178cm、体重:65~70kg。血液型はO型。

1830年9月26日・薩摩国鹿児島城下高麗町に生まれる。
幼少期は正袈裟と名乗り、鍛冶屋町へと移住。
また七歳から郷中教育を受け、その方限中で出会ったのが、
後の西郷隆盛であり、一生の運命を共にする「西郷吉之助」。
そして海江田信義である「有村俊斎」らである。
その後しばらくは精忠組として活躍し、岩倉具視・西郷らと共に
王政復古の大号令(クーデター)を成功させ、
後の明治新政府を樹立する。

政府樹立後は維新の三傑と並べられる一人、
木戸孝允らと共に政策を進めていく。
主な政策は「廃藩置県」「地租改正」「殖産興業」などが挙げられ、
大久保はこれらの政策を僅か五年間で仕上げた。

1877年西南戦争により、同郷であり無二の親友であった西郷隆盛を失う。
また西南戦争終結前には木戸孝允が病死。
その翌年である1878年、自身も5月14日の早朝、
東京・紀尾井町にて石川県の不平士族ら6人により暗殺される。

インタビュー

Q. 身長

A. 幕末~明治期にかけての男性の平均身長は
およそ155cm前後と言われていますが、
大久保を含め維新期に活躍した人物らは、
奇しくも「大男」のような体格の人物が多いです。
坂本龍馬・西郷隆盛・木戸孝允らなど、
数多くの維新者は比較的高身長であると、
非常に興味深い研究材料とも言えるのではないでしょうか。

Q. 好きな歴史の時代は

A. 此方は管理人の個人的な回答になりますが、
サイト通り、幕末-明治にかけてが最も興味深い時代です。
私自身は大正時代についても非常に関心がありますが、
未だ勉強不足の為、徐々に調べて参ります。

Q. 脚注・出典Ⅱ

A. 佐々木克氏監修・大久保利通(講談社学術文庫)
朝比奈知泉氏著・明治功臣録
勝田孫彌氏著・甲東逸話 等他多数...

Q. 誕生日

A. ・天保元年9/26(8/10)

Q. 嗜好

A. ・京都宇治玉露、極渋茶
  ・指宿煙草(煙管)
  ・漬物
  ・囲碁

Q. 好きな歴史上の人物は?

A. (好意よりかは彼が敬意を表している方)
・徳川家康公
・オットー・フォン・ビスマルク

Q. 座右の銘はありますか?

A. ・為政清明、堅忍不抜

Q. ホームページのタイトルの由来は?

A. (こちらは管理人の個人的な回答になります)
「東京と、大久保利通と。」では、”東京”が主題となっています。
元より東京と言う名前は大久保本人、そして
初代司法卿であった江藤新平らが1823年に書かれた
経世家である佐藤信淵の文献を参考に、名付けた地名です。
(既に江戸時代から”東京”改名案は出ていました)
勿論当時は”東京府”であり、京に住む人々の怒りを買わない為、
あくまでも”京都府”と同等の扱いでした。

ですが首都機能は東京府が果たし、東京都となった
現在でも引き継がれています。

タイトル自体は『東京と、大久保利通と。』となっていますが、
彼のみならず初期の明治政府役人として活躍した
数多くの人物らが名付け、現在でも日本の首都となっている
”東京”に因んで命名させて頂きました。

Q. 最後に一言。

A. 今回、大久保利通公の個人サイトを公開させて頂く上で
多くの方にアドバイス等を頂き、大変感謝しております。
記事数も少なく、とても充実しているサイトとは程遠いです。
また至らない部分も多々あり、ご迷惑をお掛け致しますが、
より多くの方に大久保と近代国家について知って頂くべく、
このサイトを公開させて頂きました。
不定期更新ではありますが、中身のある記事を書かせて頂きたいと思います。
始まったばかりですが、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

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