---二人の大きな男達が、息を切らし長く続く階段を駆け上がっている。

一歩先を行くのは、西南戦争で自刃した西郷隆盛。
「待ってくれ」と途切れそうな呼吸で彼を呼びとめるのは、
東京紀尾井町の清水谷で不平士族に暗殺された大久保利通である。

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「吉之助さあ!こん長い階段は、一体何処に続いちょっとな・・・。」
「まあ気張りやんせ。もう少しで頂上が見えてくる。」
「・・・しっかし、こげに長か階段はおいは初めてごわす。」
「おいじゃち初めてでごわんど、一蔵どん。」

「・・・。」
「一蔵どん、顔を上げやんせ。あと六つ上がれば着きもんそ。」
「・・・此処は・・・。」


一蔵と吉之助がまっすぐ目を向けた先には
どこまでも広く際限の無い野原が一つ、広がっていた。

「吉之助さあ・・・!此処は一体」
「極楽浄土じゃ、一蔵どん。」
「極楽浄土じゃち!?そげなもんあるはずなか・・・」




「一蔵どん。おいは、おい達は、死んだ。」




「・・・死んだ、とな。」


...一瞬では事の理解が及ばない一蔵が、 目を見開き吉之助に問う。

吉之助はまさに岩の如し。
驚く様子もなく一蔵に答えかけるように見つめる。

「そん通りじゃ。おい達は死んだ。あれは、おはんを乗せちょった馬でごわす。」

吉之助の言葉の方向へ目を向ける。

草原

すると其処には確かに、毎朝自分を乗せていた馬が佇んでいるのだ。


「いけもはん!!」

吉之助の答えに反射するように、次は一蔵が言う。
さすがの吉之助も、今度の一蔵には一つ心の臓を掴まれた思いであった。


「そげなこっちゃあ、あったらなりもはん!」
「一蔵どん・・・。」
「おいはまだしも、吉之助さあに死なれたら、東京はどげんなるち思いもすか!
薩摩は・・・日本はどうなるでごわすか!」



「一蔵どん。」

---共に幾星霜の夜を越えた一蔵も
あまり目にすることのない程、柔らかで穏やかな笑顔であった。

この時、一蔵は実感する。
自分は死んだ、のだと。
吉之助と共に命が散ったのだと。


すると吉之助は一蔵の肩に手を置くと、
宥めるように、彼が得意であった犬を強く撫でるように
誰もから敬愛される、その雄姿のまま一蔵に言った。


「よう気張りやったなあ。」

「吉之助さあ・・・!」
「すまんかった。すまんかったあ一蔵どん。」
「おはんさあ・・・、おいが」
「違う。一蔵どんは悪くなか。おいが、傍に居てやれんかった。」
「・・・!」
「おはんの言う通りじゃった。おいは、いつでん逃げちょった。」
「そげなことはなか!」

「・・・聞いてたもんせ、一蔵どん。」
「吉之助さあ・・・」


「最期まで、傍に居てやれんかった。」
おいは西南の役を起こした。
東京から離れるちおはんに告げた時、薩摩は護る。
反乱ならおいが抑えるち言うた。
じゃっどん、おいはそれを遂げることが出来んかった。
東京政府を窮地に追い込み、そん上おはんまで戒める結果になった。


「吉之助さあ!」

ぶつぶつと、言葉を垂れ流す吉之助に一蔵が名を呼んだ。
まるでこの場へ引き戻すかのように。


「おはん、そげな事気にかけて死んだとごわすか!」
「一蔵どん・・・!」
「おいは・・・おいはそげに小さか事は気にかけておりもはん!」
「じゃっどん!!」

「過ぎた事は、もう過ぎちょる。吉之助さあ。」

「一蔵どん・・・」


「時の流れごわす。おい達が生きた時代は、そうであったち思いもす。」
吉之助さあがそげに言い張るなら、おいも言わせて貰いたく。
・・・おいは、おはんさあを自ら追い出した。
こん東京から。おはんと共に創った新しい都城から、
結局、おいはおはんを薩摩へ戻してしまいもした。
おはんを死なせたのは、こんおいじゃち思うちょりもす。


「「じゃっどん」」

...奇しくも重なった言葉に、吉之助と一蔵は互いの顔を再度確認する。


「一蔵どん。おはん、今何を言おうとした?」
「吉之助さあこそ、何を言おうとしたとな。」


「・・・ふっ。」

最初に笑みを零したのは、一蔵の方であった。
...吉之助は思う。

薩摩で過ごした幼少時代。
自分が斉彬公に見出され江戸へ京へ駈け廻った日々。
久々に薩摩へ戻ると、何時でも一蔵は藩閥に追われていた。
が 笑っていた。笑顔であった。
だがそれは辛い思いを隠し、繕う笑顔でもあった。
それでも、彼等の間には誰にも分かり得ぬ絆があった。

---維新が成し遂げられ、明治に入って以来、
殆ど見せることの無かったその笑顔を、
今この場で、吉之助は感じることが出来たのだ。


「はははははっ!!」

それに釣られ、思わず吉之助は大笑いした。
そんな吉之助に一蔵は少し驚くが、
二人の他に誰もいない草原。
赤や黄の花で一面が埋め尽くされている。
...何と心地の良い空間なのであろうか。

心の何処かで蠢いていた渦が一気に穏やかな波へと変わる。
心を此処に置こうと決意した一蔵は、
一度だけ吉之助の顔を見て 自分も大きな声で笑った。

...理由も無く、彼等はしばらく笑い続けた。
それはまるで、今まで離れてしまった時間を取り戻すように、
もう一度、手を取り合おうと決意したように。

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「一蔵どん。」
「ん・・・?」

「なーんも心配することはごわはん。」
「吉之助さあ・・・」
「おはんには、優秀な後輩達が付いちょる。
おいも、同じじゃ。 菊次郎に信吾じゃって残っちょる。」
「じゃっどん・・・」
「いんや一蔵どん。おい達の役目は、終わったでごわす。」
「終わった・・・」
「おはんは充分闘った。己自身にも、国とも闘ったち、おいは思うちょる。」
「吉之助さあ・・・!」
「おいじゃち、もうここらでよか。」

「ここに来て、やっとおはんと二人で語らえるち思うと嬉しくて堪らん。」

「おいも、同じでごわす。吉之助さあ。」

...そう言うと、吉之助はゆっくりと立ち上がる。
今までのように重い腰ではない。
希望へ続く明日を見据えるような、軽い動きであった。

・・・

「酒、一杯やりもんそ。」
「吉之助さあ!おはんさあ下戸じゃち分かって言うちょっとな?」
「気にすることはなか!早よう酒を探しに行くでごわす!」
「ちょっと待ってたもんせ!!」

そんな一蔵の言葉に微笑し吉之助は走り出した。
若かった、若過ぎたあの頃と同じように軽やかな足取りで。

それを追いかける一蔵は笑っていた。
苦痛で顔を歪めることはない。 心からの笑顔であった。



「一蔵どん。」
「吉之助さあ。」

「もう何も心配はいらん。」
「おはんさあも、そうじゃち。」

「後のおい達の仕事は、」
「…仕事は?」


『見守ってやることでごわす。』


「見守る・・・。」
「こん日本国を、広い空のてっぺんから、遠くから見張っちょることごわす。
こん国が、道を外さんよう、おい達はてっぺんから様子を見ちょることしかできん。」
「吉之助さあ・・・!」
「・・・一蔵どん。一緒に、見守ってくれたもんせ。」
「勿論ごわす!!吉之助さあ!」


吉之助と一蔵は思う。あの頃に戻れたのだと。
二人で、必死に夢を追いかけたあの頃に。
足を取られそうな故郷の砂浜の中、明日に向かって走り続けたあの日々に。
だが、もう焦ることはない。何かを犠牲にすることもない。

...明日は続く。今も尚、彼等は飛翔を続けているのだ。

...一度だけ手を重ね合わせた彼等は、ふと下を見下ろす。
そこには彼等が創り上げた日本国の明るい未来を象徴するように
桜島が煙を上げ、天へ昇っていた...


そして残された者達は幾度となく空を見上げ、
彼等の声を聞くように桜島を、尚も見つめ続けるのであった---

桜島

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