空


空を見上げれば、いつもあの日と同じ雲が流れている。
空の青は夕暮れが進むにつれ黒く、そして険しい色へと変わっていく。
ただ呑気に浮かぶ雲の数々が、私には少し腹立たしいようにさえ感じられた。

---父が創った明治の世は去り、時は大正、
そして昭和と三つの時代をけたたましい速さで過ぎようとしている。
父が西郷と共に斃れたのは、私が未だ十八の頃であった。

西郷。
大西郷と称される彼が父とどのような関係であったかは、
当時子女であった私にも容易に理解が及んだ。
西南の役において『西郷が出兵した』、という一報を耳にした父の様子たるや
兄妹の中でも父と過ごした時間が多い私でさえ、あれ一度限りであった。
私は彼らほどまで仲の良い友を持たぬから、友を失うのは其れ程辛いことなのかと
疑念さえ抱いたほどである。しかしながらあの二人の関係は、あくまでも友ではなく
”兄弟”以上であったのだと万民が異口同音に言うものだから、私もそれに心底同意した。

父と西郷らとが創り上げたこの日本において、
列島同士での有事は言うまでもなくあの西南の役が最後であった。


父、西郷が共に斃れてから十八年後のことである。
日本は清国と開戦した。眠れる獅子と評されていた清国であったから、
どんな列強諸国も清の活躍を心待ちにしておった。
ところが不思議なことに眠れる獅子は眠ったまま一向に目を覚まさない。
この清国に対し徹底的に攻め入り、日本は初めて、
隣国ではあるが異国との大戦に勝利を手にしたのであった。
清国に勝利した日本は多額の賠償金と領土を得たが、
その大仰な素振りがどうも列強の気に障ったらしい。
三国干渉により勝利に沸き立っていた日本国、
そして国民は改めて列強の制圧を実感するのである。

そして恐ろしいことにこの更に十年後、つまり父が斃れた二十八年後である。
日本は隣国に留まらず、徐々に南下しつつあった、
あの列強である大国露西亞と開戦することになったのである。
到底日本のような、国民が地を這っているように小さな島国が露西亞に打ち勝とうとは、
教養の得ない幼子が考えるべきようなことである。

日本は、その幼子の戯言と変わらぬような考えを実現した。
清国に対しさえ冷ややかであった列強諸国の視線は、
今回の対露西亞へ、むしろ好奇心さえ抱いているようであった。

私は当時伊藤(博文)さんの近くにあったものだから、
彼の心情と焦りのようなものを度々感じていた。
それもそのはずである。 隣国に勝った中で沸き立つ国民は知らぬことではあるが、
今回の戦争はあまりに無謀過ぎたのである。 私はこの頃、よく思ったことがある。
「父ならばどう対処したか。」其れただ一つであった。
あの人は特に強い外交力を持っていたから、
国家存亡に関わるこの大事態をどうしたものかと、度々考えたものである。

世間の人はよく知らぬようだが、政界にいる者は
『大久保の死が政治の衰退のみならず国家衰退をも招いた。』とよく云っていた。
当時は在学中であり、養子と云えど父の”直接の子”
であったから感ずる部分が少々足りておらぬかった。

しかし父の側近であった伊藤さんの近くに居れば嫌と云う程に、
私の中の嫌の感を刺激する。無論、其れは伊藤さんの非と云う訳ではない。
私の立場上自覚せざるを得ないのである。

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…この国はつくづく、強い運を持つ国である。
隣国清との戦争に打ち勝ち、更にはあの露西亞にまで弾砲を轟かせた。
亜米利加国の仲介もあり、また我が国の軍事費、
そして兵も底を尽きたことから有事は取り止めされたが、
海上においては日本の勝利を決定打にさせた場面が多々あった。
事実日本は賠償金に限り一銭も得ることが出来なかったが、
多くの領土を日本国の一部として手にした。
しかし国民の生活は現在も困窮を極めている。
政府も軍事費を費やしたが故に手の施し様が無いのである。

全く無責任な政府である事は違いない。
父が維新を為した頃の困窮ぶりとはまるで異なるのだ。
無論時勢が変化を見せれば状況も伴って変わることは至極当然であるが、
私は維新から今までの間、この国は近代化を志に、少々生き急いだようにさえ見える。


…歩み過ぎたとも言えるこの国は、
今も尚歩みを止めることなく進んでゆく。

はっきり申して此の先、一体何処まで歩むのか分からぬが、
軍部が握って離さぬ国権を政治家に戻す使命を終えねばならぬ。

あくまで私は政治家である。
志は父と同じく持ち合わせておるのだ。

父、そして父の畏友西郷が死してまで創り上げようとした未来は、未だ今はない。
一寸先は闇の日本国が紡いでいかねばならぬのは志、元より希望である。
どんな国難が来ようと決して動じず、介さぬ国でなければならぬ。

そして、何よりも民を犠牲にしてはならぬ国創りである。
国民無くして国家は成立が出来ぬのは至極当然であるが、
近年最重要である此の事項をどうも忘れている節が見て取れる。
国民は只の働き蟻のような一戦力ではない、生きている。

父を殺した者も西郷を死なせた者も、此れ全て国民であった。
本来最も擁護すべきは民であったが、所謂維新成功者達は
それを見ずして次の世代に託した。私達の使命は、
彼らが見ずして逝ったものを最期まで見届けることである。
その為には先ず根本である政府が側根達に水を分け与えられる状態になければならぬ。
もうずっと乾いたきりの政府はまるで旱に見舞われているようにすら感じるが、
今こそ雨が降らねば忽ち大地は皹割れ到底元には戻すことは不可能になり得ない。
状況が変わらぬなら変えてしまわねば全く可笑しな事になるから、
私は力の限り変えていくつもりである。
そしてこれからの日本は、本当の民主主義国家を目指すべきであるのだ。


……
………

父を訪ねた。

眼中に途轍もなく大きな墓石が入ってゆく。
入口を囲う鳥居には多少の皹が見て取れる。
今や白砂となってしまった父である故、幼き頃がやけに愛おしい。

…ふと、空を見上げた。
すると確かにまだ、あの運命の朝の予感が私の中に漂うのであった。

陽が傾くのを始めると、紅が過ぎる燃え盛る夕陽が父を照らす。
あの背中は今も尚、輝く夕陽よりもずっと、私の中で大きく頼もしく、
少しばかり心を痛めつける存在となっている…

大久保公墓
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