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--新年明けましておめでとうございます、
   2012年の幕開けとなりますが、今年が皆さま、
    そして日本にとってより良い年になるよう心より祈っております。
      本年も何卒宜しくお願い申し上げます--


(大久保利通の配偶者である大久保満寿子夫人についての記事になります。
 一般の方ではありますが、敬意を表します。)

青山霊園・桜

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「東京で暮らそう。」
夫・利通からのその報せを受け取った満寿子夫人は、
政府内務卿の妻、として彼の傍で支えることを決め、
彼に創った東京にて住まうことを決意します。

しかしその移動は"鹿児島から追い出されるような思い"で彼女は故郷薩摩を離れます。
それは大久保も同様ではあったと思いますが、
大久保よりも多く薩摩の地で過ごし、海外視察等で度々海を渡る
夫利通を故郷よりそっと見守っていた彼女にとって、
薩摩からの一種、脱却は非常に心苦しく辛いものであったと思います。
...東京に移り住み始めたのが1876年。
夫・利通が暗殺される約二年前の出来事でした。

同じ邸に住まうという事は、妻として、彼の家族として
耳を塞ぎたくなるような言葉も沢山耳にしたと思います。
やっと夫の近くに居ることにより心の安らぎを得られるはずであった夫人は
またも気苦労の絶えない生活へと戻ってしまうのです。

只でさえ政府最高高官であり政府の権限が集中する内務省の最高幹部。
元より死の覚悟はありますが、それでも度々邸に寄せられる脅迫状、
護衛も付けずに庁へ向かう夫を、彼女はどんな思いで見つめていたのでしょうか。

...東京へ移る以前から大西郷、すなわち西郷隆盛の妻であった
西郷いと子夫人とも二度と会えぬ別れとなってしまいます。
二人の夫同士の決別が彼女達の運命をも巻き込んでしまうことになります。
ですが、彼女達も恐らく薩摩の両雄同様、
彼女達にしか分かり得ない特別な思いがあったのだと感じます。

---大久保利通妻・満寿子夫人は、大久保利通暗殺後半年に亡くなりました。
逝去当時、満寿子夫人42歳。大久保とは七歳差でありました。
---西郷隆盛妻・いと子夫人は、息子に先立たれた後の、
(大正十一年)1922年に亡くなりました。

お二人の墓石も、同じく青山霊園にて祀らわれています。
西郷隆盛に関しては彼の雅号である"南州"でも知られる、
南州神社にて薩軍の兵達と共に眠っています。

両雄と、その両雄を支えた妻たちも彼らの後を追うように亡くなりますが
影で支えたお二人がいなければ、明治維新も、
そして現代の日本の世も、また変わっていたのではないでしょうか。
彼等を支えたお二人が空の上でゆっくりと心を休めているよう祈っております。

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※この場を借りて、深くご冥福をお祈り致します。
今後追記をして参りますが、南州神社及び青山霊園等の
墓地をお参りの際は墓地には多数の墓石が並びますので、
諸事情ご高察の上、お参り願いたくお願い申し上げます。

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